万物は定めに従い生まれ そして去る
それなのに人間だけが運命に翻弄される
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演: ヨハネス・ツァイラー、アントン・アダシンスキー、イゾルダ・ディシャウク etc.
魂の在処を探し研究に明け暮れるファウスト博士は、金もなく生きる意味も失っていた。
彼は研究を続けるために、悪魔と噂される高利貸しミュラーのもとを訪れる。
金は貸せないが生きる意味を教えようと囁くミュラーに連れられた場で、ファウストは純真無垢なマルゲレーテに出会い一目で恋に落ちる。
しかしミュラーに計られたファウストは彼女の兄を誤って殺してしまう。
どうしてもマルガレーテの心を手に入れたいファウストは、ミュラーと魂を渡す悪魔の契約をするが…
も、物語については何も語るまい!!
というか、正直チンプンカンプンでした。はい。
ファウストについてはほどんど知らなかったので、
映画を見る前にwikiとかであらすじを調べたのだけれど、それでも解らぬこの難解さ。
さすがソクーロフ監督。
見終わったあとに思わず「む、むずかしい」と口に出してしまったほど。
しかし、どのシーンも構成が完璧に考えられていて、息をのむほど美しい。
不思議な不安定さと浮遊感があり、耽美な世界に140分まるまる夢見心地。
構成への強烈なこだわりが見えて、すごく勉強になる。
映画のテーマである生と死を、光と影のコントラストで見事表現してある。
この構図感は、さすがロシアの監督。これぞロシア芸術。
湖に落ちて沈んでゆくシーンがすごく好き。
人間の持つ、残虐さ、狡猾さ、欲望、快楽、誘惑、美、魂。
上げれば切りがないのだけど、不確かで目には見えない、
けれど確実に存在するそれらに焦点を当て、見事芸術に押し上げていたと思う。
ファウストは物語冒頭、死体解剖して『魂』の在処を探していた。
人間が人間であるために『魂』が必要だと思ったのだ。
けれど、いくら探せど死んだ体に『魂』はない。
それならば、『魂』とはなんなのだろう。
『魂』は古代ギリシャ語ではプシュケーというらしい。
プシュケーというのは、本来は『息』を意味するが、
それが転じて、命・心・魂 という意味になったらしい。
プシュケーといえば、まず思い浮かぶのはギリシャ神話の女王プシュケー。
エロス(またはクピド)とプシュケーの物語は名前の通り愛と魂の話だ。
彼女は一度死に、しかし愛によって再び目覚める。
つまり、愛が『魂』を復活させた。
愛すること。それはごく自然の行いだ。
男と女が愛し合い、子を設け、脈絡と血は続いていく。
そんな自然の摂理を、ごく当たり前に生命たちはこなしてゆく。
それを『生』と呼ぶなら。
『死』はどこにあるのだろう。
愛を求めた彼は、『魂』を復活させうる『愛』によって命を落とす。
皮肉にも、彼の望みは『死』によって叶えられ完結した。
悪魔との契約により自然の営みから外れたファウストはどこへ向かうのだろう。
一人、途方もない旅を続けるのだろうか。
マルガレーテの母に「ファウストはどんな人なの」と聞かれたミュラーが言った台詞。
「人生の山と谷をさまよう 永遠の放浪者ですよ」
なるほど。これは最後の暗示だったのか、と一人納得。
もう1度見ないと理解できません。
もう1度見ても理解できないかも。
それでも不思議と心が囚われた映画。
魂は渡さんぞ!
ちなみに、マルガレーテのこと映画見てる最中もずっとマルゲリータだと思ってた。