2013/04/28

Amadeus[1984年]


君らの罪を赦そう!凡庸なる者よ!
 

邦題:アマデウス
監督:ミロス・フォアマン
出演:F・マーレイ・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・べリッジ etc...

1823年のとある冬の夜、一人の老人が妄言を吐きながら自殺を図り、精神病院に送られた。
彼はかつて宮廷作曲家だったアントニオ・サリエリ、その人だった。
後日、そんな彼の元を訪れた神父に、彼は驚くべき告白をする。

 サリエリは、若い頃は音楽への愛と敬虔な信仰心に生きていた。
オーストリア皇帝ヨーゼフ2世の覚えもめでたく、順風満帆な人生を歩んでいた。
しかし、そんな彼の前に天才作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが現れ、
サリエリの人生が一変する。
そしてモーツァルトへの激しい嫉妬に苛まされるサリエリの苦悩が、大きな悲劇を生んでいく――。





映画「薔薇の名前」繋がりで、F・マーレイ・エイブラハム主演のこの映画。


下品で無知なのに、神から与えられたとしか言い様のない類い稀な才能をもつモーツァルト。
そんなモーツァルトに憎しみとある種の憧れを抱くサリエリが哀れでならない。

モーツァルトが成功しないように色々と画策するが、彼の演奏会には必ず足を運ぶ。
そして、モーツァルトの音楽を理解しないウィーンの貴族達をバカにするような発言もする。
自分の作曲を褒められると嬉しくて、でも彼の才能が恐ろしい。
サリエリは何度も思う。
せめて、その才に似合うだけの人格を
モーツァルトが持っていたならどんなに良かっただろうか。

サリエリの嫉妬の根源はここなのだ。
自分は神を信仰し、色にも欲にも走らず、
お金に困ってる生徒には無料で手ほどきをし、慎ましく真面目に生きているのに。
 なのになぜ、神は下品で無知で浪費家で女癖の悪い不真面目な男に才能をやるのかと。

しかし、世の中の天才というのは大体が常人の理解の範囲を超えているのが常である。
だからこその天才だし、狂人なのだ。

それでも嫉妬してしまうのが、悲しき人間の性かな。

かのロシアの文豪ドストエフスキーもこう言っている。
「感情は絶対的である。そのうちでも嫉妬はこの世で最も絶対的な感情である。」

つまり、絶対的な感情である嫉妬を抱くサリエリは、
ある意味、絶対的にモーツァルトの才能を認め愛していたわけだ。

そんな強烈な愛を一度でも持てるのは幸運なことでもあると思う。


そしてその愛が成就する、レクイエムを一緒に書き上げるシーンは圧巻だった。
モーツァルトが口ずさむメロディーをサリエリが楽譜に記していく。
時に驚きながら、時に共感しながら。
サリエリの音楽家としての抑えられない興奮が伝わってきてこちらまでドキドキしてしまった。


そして最後にモーツァルトがいう、「君を誤解していた僕を赦して」の言葉。
「赦す」とも逆に「赦して」とも言えなかったのは、
サリエリの罪悪感なのか弱さなのかはわからない。
だが少なくとも、始めて面と向き合ってお互いの音楽に触れた瞬間に、
サリエリの中の全ての憎しみは浄化されてしまったように私には思えた。

残ったのは、未完成のレクイエムとサリエリの後悔だけ。

そしてサリエリはいう。

「君らの罪を赦そう!凡庸なる者よ!」


物悲しい物語ではあるし、モーツァルトの高笑いと下品さが苦手な人もいるだろうが、
それ以上に一生に一度は絶対見て欲しい映画。
 映画を彩る音楽ももちろん素晴らしい。

 
しかしまあ、父を見てても思うが音楽家というのはみんなあんななのだろうか。
私は平凡でも平和に生きたいものよ。



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