2013/04/26

The name of the rose[1986年]


stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.
 きのうのばらはその名のみ、むなしきその名をわれらは手にする。



邦題:薔薇の名前
監督:ジャン=ジャック・アノー
出演:ショーン・コネリー、F・マーレイ・エイブラハム、ロン・パールマン etc・・・


舞台は中世イタリアのベネディクト会の修道院。
当時、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁の間で起こっていた『清貧論争』の会議のため、
イタリアにやって来たフランシスコ会の修道士ウィリアムと、その見習い修道士アドソ。
彼らが到着する少し前に若く美しい修道士が不審な死を遂げていた。
それを機に次々と怪事件が起こってゆく・・・





綿密に練られた構成が素晴らしいミステリー映画!
という言葉だけでは終わらない、宗教や人間への洞察が物凄い映画。

私自身、詳しくは知らないものの、宗教について疑問を抱いてた。
批判ではなく、本当に単なる疑問や興味。

海外で生活していると、特定の宗教を持っているのは当たり前で、
彼らは一様に神についてなんの疑問も抱かず信仰している。
呼吸をするのと同じような自然さで胸で十字を切るのだ。

そんな折に鑑賞したこの映画。
疑問は解決されないものの、なんだか色々と納得してしまった。
ああ、人間なんだな、と。


神にその身を捧げたはずなのに、それでも抑え難い煩悩。
修道院という清く正しく、神に近い場所であるはずなのに、漂う不健全さ。
抑圧されているが故に芽生える欲とでも言うのだろうか。

登場人物、主人公たちを除いてみんな不健康そうだよ!笑 
でもそれも、ものすごく人間臭い。


この世の中に、白黒ハッキリしているものなんてあまりない。
善人も悪人も、そのどちらの要素も備えているように感じてならない。
 
劇中、異端審問官が異端者を拷問してこう問う場面がある。
「悪魔とは縁を切り、神に帰依するか。」
それに対し異端者は答える。
「悪魔とは誰だ?それはお前だ!」と。

神に属する異端審問官は、別の視点では悪魔に見えるというこの矛盾。
(私にも悪魔に見えたけれども。笑)

そして、少しネタバレだけれど、とある登場人物がこう言う。
 「笑いが恐れを殺せば、もはや信仰は成立しなくなる。
民衆が悪魔を恐れなければ、神は必要ない」
(このセリフ、なかなかすごいと思う。)

宗教についてのあれこれを私は語れないので、
Google先生で試しに「悪魔 存在理由」と調べてみた。
(今回はキリスト教の物語なので。)
簡単に要約すると、『悪魔』とは神様の意思に従って人間に試練を与えているらしい。

つまり悪=善という方式が成り立つわけで、
最初の話に戻ると、全ては表裏一体ということだ。

主人公ウィリアムも言っている。
「信仰と狂信の差はわずかしかない。」と。

全てが神の采配ならば、
自分の身に起こる不幸もすべて何かしらの意味を持っていることになる。

天使も悪魔もないのならば、果たして、なぜ争いはなくならないのだろうか。



いつか新約聖書、旧約聖書まるまる読んでみたい。
今回はキリスト教だけども、仏教なども興味がある。


宗教話というと、めんどくさく難しそうだけど、最高にエンターテインメントな映画。
テンポもよく、衣装や小物へのこだわりもすごくて、世界観が完成されている。
ワクワクドキドキしながらみれる。

ショーン・コネリーの渋さもたまらない!

ちなみにR-15ですのでご注意を。


ということで、 何かオススメの宗教関係の映画あれば教えてください。(ご飯映画も引き続き)


~番外編~

見習い修道士アドソ役を演じたクリスチャン・スレーター。画像右。

大変失礼だが、なぜか私の中ではすごく美しい河童というイメージだった。

その理由が判明。

どうやら無意識のうちに彼の髪型に焦点を当てていたみたいだ。
トンスラという髪型らしい。(フランシスコ・ザビエルの髪型。)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/db/Franciscus_de_Xabier.jpg/180px-Franciscus_de_Xabier.jpg
上のアソドの写真じゃわからないけど、きちんと後ろを剃っていた。

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